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陰キャ海賊団・船長

空白の2年 −どこで道を間違えたのか?? −

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こんにきわ。

高専時代に不定期で書いていたブログを2年半振りに更新する形となりました。

今は色々と忙しいですが、自分の気持ちを整理するためにも、時間を確保してこの記事をまとめました。

 

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最後のクロップリヴァプールの今季リーグ制覇は絶望的になった。ゼミ室で観戦していたが、試合終了後に気絶して倒れた。その時走馬灯のように、失敗だらけのこの2年間を振り返った。

 

2021年7月に東大編入試験に合格した後、合格の安心感もある一方で、一つの目標を失ったという喪失感があった。何か短期的な目標が欲しいと思って選んだのは、「12月のスポーツ大会のバスケで優勝すること」。それを決意してから約3ヶ月ほど、卒研とスマブラを同時並行で進めながら、受験で失った体力を取り戻すために毎日5km走った。部活をやっていた頃よりも走れるようになって臨んだスポーツ大会は決勝で惜敗。優勝したかった思いもある一方で、やはりまた目標を失った喪失感があった。次はもう少し長期的な目標でも良いのではないかと思って選択したのは、「彼女を作ること」である。

問題は山積みだった。まずは真冬に半袖を着るという舐め腐った態度を改めて、コートを着ることを覚え始め、また、放置していた髪を最低限ケアすることも必要だということで、ヘアオイルを塗り始めるようにもなった。結局その後も卒業までクラスの女子と喋ることはもちろん無かったが。

 

そして2022年4月に上京。友達と下北沢の古着屋に行ったり、渋谷で飲んだりと東京を楽しみ始めた。。。が、大学は正直言って楽しくなかった。これは2年経った今もだ。そう、恋愛がどうのこうの以前に大学が楽しくないのだ。

 

大学が楽しくない理由は3つある。

◯ 2年次編入であること。最初は駒場キャンパスとかいうキラキラした1・2年生に混じって授業を受けるのが苦痛でしかなかった。そして学年を1つ落とす形になるので、周りは基本的に自分よりも1個下。後述するが、自分の代の建築学科は現役率が異様に高いらしい。なんとなく年齢を気にしてしまう自分にとって居心地が良いとは言えず、2001.04〜2002.03生まれの人たちとしか対等に話せないような感覚で、どこか「こいつ仲良いけど1個下なんだよなぁ…」と考えてしまう。

◯ 東大建築学科における編入生の存在がアウェーすぎること。もちろん自分1人だけ。東大は専門科目の授業が2年後期から始まるため、編入生とか関係なく学科同期は全員同じタイミングで顔を合わせることになるのが2年次編入の唯一のメリットだった。が、建築学科の高専編入生が毎年少なすぎることが原因で、学生はもちろん、教員や事務の人たちも高専とか編入生についてよく知らない。編入生は学籍番号がバグってるので、なぜか点呼の時は自分が一番最初に呼ばれる。こういうのが授業で何度も重なるとフラストレーションが溜まってくる。

3年生に進級した際のガイダンスはサボって行かなかった(その時明石高専に顔出しに行ってた。)。その時から徐々にフラストレーションが溜まって割と限界だったからだ。「はっはっはーー悪いことしたったでぇ〜〜!!」と浮かれた気分になりながら、とりあえずガイダンス資料だけは貰っとくかってことで後日事務室に伺ったら、衝撃の事実が。ガイダンス名簿に自分の名前が無かったのだ。そう、事務の人すら編入生という存在に無知で冷たいのである。むしろ行かない方が正解だったという事実は、ガイダンスをサボって調子に乗っていた自分をハンマーで殴るような痛みを与えた感覚だった。

もちろんこのド陰キャは、学科の人たち(約60人)とは未だに半分ぐらい喋ったことがないので、「あいつは誰なんだ??」という風に思われているのは間違いないだろう。まぁあと1年の辛抱ですよね。

◯ 東大生の頭が良すぎること。んま結局これに尽きますよ。最初は「彼らに敵わないことなんて分かりきってるので。まぁのんびりやりますか〜」のスタンスでいたが、いくら周りが東大生だとしても、圧倒的な能力の差を見せつけられるとやはり胸が痛いし悔しい。いわゆる「競争」とは違う観点で話すと、授業のグループワークはもちろん東大生と一緒に取り組む。だから迷惑を掛けられないし、彼らについていかなければならない。その時もやっぱり大変な思いをする。日本の大学生は大学に入ると勉強しなくなりがちなのは東大生も同じ、しかし元々のスペックが圧倒的に高いことは間違いない。その現実を毎日痛感させられる日々である。

 

以上、大学が楽しくない理由。実際編入した最初の半年は大学は楽しくないし、「彼女を作る」という目標も絶望的。当時はウクライナ侵攻とか首相暗殺とか辛いニュースも多かったので憂鬱だった。絶望的な気持ちで大学生最初の夏休みを迎えることに。実家への帰省もしないことにした……

 

……しかしある時を境に自分の人生は急に好転したのだ。2022年8月中旬、福島県でのとあるイベントで1人の女の子に出会った。彼女は東京在住で中学3年生。その子はとにかく素直な女の子で、建築に興味があると言っていたこともあって意気投合したのだ。6歳年下の女の子だったが、それからもLINEを続けるように。その子との出会いこそが人生好転のきっかけだった。

福島県でのイベントが終わって東京に戻ってからも何度か会った。人生で初めて女の子と2人でご飯を食べて、手を繋いで、ハグもした。

 

その子は受験を控えていたので、11月頃からは一旦会うことを控えることにした。彼女が頑張っているので自分も頑張る。そう決意した自分は、大学の授業も課外活動も懸命に取り組むようになった。あの時の自分は常に目が輝いていたらしい。春休みはひたすらインターンをやっていた。身だしなみも整えるようになったり、自分でも驚くほどにコミュ力が無双し始めたりと明らかに人生は変わり始めた。低俗な発言を繰り返していたはずのTwitterも、気づけば意識高い学生のTwiiterに豹変。昨季4冠に届かなかったリヴァプールが急に低迷し始めたことも正直どうでも良かったぐらいだった。

 

そして彼女は無事に受験合格。会えなかったのが辛すぎるあまり3月頃は鬱になっていたが、2023年4月21日の放課後、小雨の中で周りの目線も気にせず抱きしめ合うという感動の再会を果たした。それから表参道を2人で歩いて沢山話して、美術館に行って、夜ご飯を食べた。2人分まとめて払うと、「大きくなったら私が払うね。」って言ってくれたり、「襟足めっちゃ似合ってるよ!」って言ってくれた。人生最高の日だった。それからもLINEでのやり取りは続いた。毎回返信を考えるのに必要以上に時間をかけていたが、その瞬間こそが幸せだった。

のはずだった。

 

んま結論から言うと、5月末からその子と連絡は取れなくなってしまった。突然LINEをブロックされたのだ。理由は不明。あっけなく幸せな時間は終わってしまった。

現実に向き合うことができなかった一方で、その反面謎の安心感もあった。自分は、あらゆるポテンシャルが高すぎるその子の隣にずっといて良いような人間ではないのは明白だったからだ。

当時の自分にできることは毎晩泣くことだった。6月は大学の課題に追われながら、全てを失った喪失感とともに、産声以来の号泣を21歳になって毎晩上げるようになった。辛かったのは失恋だけではない。関わることになる他大生にも年上の人間にも、東京にゴミカス人間が多すぎるということだった。東京嫌いもこの頃から悪化し始めた。

 

このままだと毎晩泣いて人生が終わってしまう。何か転機が必要だと感じて、9月には24日間の1人アメリ渡航を決行した。アメリカは控えめに言って楽しすぎた。何より、目が合うとニコッて笑ってくれるアメリカ人の女の子たちが可愛すぎた。

アメリカのクラブにも行った。右から2人は同い年の女の子。左は2個下の女の子。めちゃかあいかった。

 

最高のアメリカ旅行だった。もう今の自分に鬱な感情はない。気持ちを新たに帰りの飛行機に乗った。

帰りの飛行機に乗ってる間、仲良くなったアメリカ人の女の子たちで頭がいっぱいだった。「いやーなんやろ、日本では女の子と目合ってもああやって笑ってくれへんねやろ?やーこれ逆カルチャーショック陥るかもなぁ……ん、待てよ??日本にもたしか1人だけ、目合ったらニコッてしてくれる6歳年下の女の子がおった気するな……」

彼女を思い出した時、再び涙が止まらなかった。

結局、アメリカから帰国してからも毎晩泣くようになった。10〜12月はもうほとんど記憶が無い。年末年始は大学の授業を全て投げ出して、18日間実家に帰省して悟りを開いた。米寿を迎えたおばあたんにも顔を出しに行って真っ先に言われたことは、「あんた彼女いんの??聞くん楽しみにしとってん。」。まさかおばあたんに違う意味で泣かされる時が来るとは思わなかった。

しかし大失恋を経験したいま、やはり信じられるのは家族だけだった。高専時代ほとんど話さなくなった父親とは、久々に面と向かって話した。これはこれで良かったのかもしれない。

と、こんな感じで地獄のような感情のまま8ヶ月が経過した。もう毎晩泣くことは当たり前。毎日ヘアアイロンを当てて大学に行っていた昨年と対照的に、髪はボサボサのままで登校。さらに毎日部屋着+サンダルで外出するように。女子とは全く喋らなくなって、高専時代に逆戻り。あまりにも切なくないか。

2月上旬には10ヶ月振りにとある後輩と再会した。「先輩元気っすか?(恋愛順調で元気だった頃の)先輩マジで尊敬してました!久々に会いませんか!」と連絡をくれたので再会。今の俺は地獄に堕ちている、ということは言わないことにして、平然を装って会話を続けていたが、ある時「んーなんか、先輩、雰囲気変わったというかなんか……あの時より元気無いっすよね。」と言われた瞬間、思わず天を仰いでしまった。はぁ…もう終わりだよ。

 

ここまであまりにも絶望の時間が続いていたが、2024年2月22日、ちょっとした出来事があった。何かというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分でもびっくりだった。さすがにこれは詳細には話せないが、2個年上の女の人と。彼女が欲しくて仕方なかった時期とかは特に童◯がコンプレックスだったので、卒業できたのは純粋に嬉しかった。何より気持ち良すぎて昇天してしまった。

その人とはもう1回会ったりもして、当時は嬉しすぎてInstagramに上げてしまったりもしていた。

しかしいざ◯貞を卒業しても、思ったより何も変わらなかった。なんならくだらないとすら思った。こんなくだらないことを気にしていたのかと。その人は東京在住の人ではないので、おそらくもう会うことは無いだろう。

 

結局毎晩泣くことに変わりはなかった。10ヶ月近く会えていない彼女を忘れることはできなかった。褒めてくれた襟足だけは切ることができなかった。はっきり言って、勉強してる時も寝る時も邪魔である。

 

楽しみにしていた高専の同窓会も、女子とは全く話せなかった。もう2度と行かないだろう。

そして地元の同期はみんな新社会人になったそうだ。中学の社会の先生になった友達、英語の先生になった同期、CAになった同期。一方で俺は何をしているんだ。

 

空白の2年。まさか東京に来てからここまで人生が急降下するとは思っていなかった。

 

大学新4年になってからの目標は、院試合格、そして卒業研究で良い成果を残すことである。そして、東大編入生としての最後の1年をどう過ごすかが問われている。

 

読んでいただきありがとうございました。