暇ならぜひ読んでほしい

陰キャ海賊団・船長

空白の2年 −どこで道を間違えたのか?? −

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こんにきわ。

高専時代に不定期で書いていたブログを2年半振りに更新する形となりました。

今は色々と忙しいですが、自分の気持ちを整理するためにも、時間を確保してこの記事をまとめました。

 

ーーーーー

 

最後のクロップリヴァプールの今季リーグ制覇は絶望的になった。ゼミ室で観戦していたが、試合終了後に気絶して倒れた。その時走馬灯のように、失敗だらけのこの2年間を振り返った。

 

2021年7月に東大編入試験に合格した後、合格の安心感もある一方で、一つの目標を失ったという喪失感があった。何か短期的な目標が欲しいと思って選んだのは、「12月のスポーツ大会のバスケで優勝すること」。それを決意してから約3ヶ月ほど、卒研とスマブラを同時並行で進めながら、受験で失った体力を取り戻すために毎日5km走った。部活をやっていた頃よりも走れるようになって臨んだスポーツ大会は決勝で惜敗。優勝したかった思いもある一方で、やはりまた目標を失った喪失感があった。次はもう少し長期的な目標でも良いのではないかと思って選択したのは、「彼女を作ること」である。

問題は山積みだった。まずは真冬に半袖を着るという舐め腐った態度を改めて、コートを着ることを覚え始め、また、放置していた髪を最低限ケアすることも必要だということで、ヘアオイルを塗り始めるようにもなった。結局その後も卒業までクラスの女子と喋ることはもちろん無かったが。

 

そして2022年4月に上京。友達と下北沢の古着屋に行ったり、渋谷で飲んだりと東京を楽しみ始めた。。。が、大学は正直言って楽しくなかった。これは2年経った今もだ。そう、恋愛がどうのこうの以前に大学が楽しくないのだ。

 

大学が楽しくない理由は3つある。

◯ 2年次編入であること。最初は駒場キャンパスとかいうキラキラした1・2年生に混じって授業を受けるのが苦痛でしかなかった。そして学年を1つ落とす形になるので、周りは基本的に自分よりも1個下。後述するが、自分の代の建築学科は現役率が異様に高いらしい。なんとなく年齢を気にしてしまう自分にとって居心地が良いとは言えず、2001.04〜2002.03生まれの人たちとしか対等に話せないような感覚で、どこか「こいつ仲良いけど1個下なんだよなぁ…」と考えてしまう。

◯ 東大建築学科における編入生の存在がアウェーすぎること。もちろん自分1人だけ。東大は専門科目の授業が2年後期から始まるため、編入生とか関係なく学科同期は全員同じタイミングで顔を合わせることになるのが2年次編入の唯一のメリットだった。が、建築学科の高専編入生が毎年少なすぎることが原因で、学生はもちろん、教員や事務の人たちも高専とか編入生についてよく知らない。編入生は学籍番号がバグってるので、なぜか点呼の時は自分が一番最初に呼ばれる。こういうのが授業で何度も重なるとフラストレーションが溜まってくる。

3年生に進級した際のガイダンスはサボって行かなかった(その時明石高専に顔出しに行ってた。)。その時から徐々にフラストレーションが溜まって割と限界だったからだ。「はっはっはーー悪いことしたったでぇ〜〜!!」と浮かれた気分になりながら、とりあえずガイダンス資料だけは貰っとくかってことで後日事務室に伺ったら、衝撃の事実が。ガイダンス名簿に自分の名前が無かったのだ。そう、事務の人すら編入生という存在に無知で冷たいのである。むしろ行かない方が正解だったという事実は、ガイダンスをサボって調子に乗っていた自分をハンマーで殴るような痛みを与えた感覚だった。

もちろんこのド陰キャは、学科の人たち(約60人)とは未だに半分ぐらい喋ったことがないので、「あいつは誰なんだ??」という風に思われているのは間違いないだろう。まぁあと1年の辛抱ですよね。

◯ 東大生の頭が良すぎること。んま結局これに尽きますよ。最初は「彼らに敵わないことなんて分かりきってるので。まぁのんびりやりますか〜」のスタンスでいたが、いくら周りが東大生だとしても、圧倒的な能力の差を見せつけられるとやはり胸が痛いし悔しい。いわゆる「競争」とは違う観点で話すと、授業のグループワークはもちろん東大生と一緒に取り組む。だから迷惑を掛けられないし、彼らについていかなければならない。その時もやっぱり大変な思いをする。日本の大学生は大学に入ると勉強しなくなりがちなのは東大生も同じ、しかし元々のスペックが圧倒的に高いことは間違いない。その現実を毎日痛感させられる日々である。

 

以上、大学が楽しくない理由。実際編入した最初の半年は大学は楽しくないし、「彼女を作る」という目標も絶望的。当時はウクライナ侵攻とか首相暗殺とか辛いニュースも多かったので憂鬱だった。絶望的な気持ちで大学生最初の夏休みを迎えることに。実家への帰省もしないことにした……

 

……しかしある時を境に自分の人生は急に好転したのだ。2022年8月中旬、福島県でのとあるイベントで1人の女の子に出会った。彼女は東京在住で中学3年生。その子はとにかく素直な女の子で、建築に興味があると言っていたこともあって意気投合したのだ。6歳年下の女の子だったが、それからもLINEを続けるように。その子との出会いこそが人生好転のきっかけだった。

福島県でのイベントが終わって東京に戻ってからも何度か会った。人生で初めて女の子と2人でご飯を食べて、手を繋いで、ハグもした。

 

その子は受験を控えていたので、11月頃からは一旦会うことを控えることにした。彼女が頑張っているので自分も頑張る。そう決意した自分は、大学の授業も課外活動も懸命に取り組むようになった。あの時の自分は常に目が輝いていたらしい。春休みはひたすらインターンをやっていた。身だしなみも整えるようになったり、自分でも驚くほどにコミュ力が無双し始めたりと明らかに人生は変わり始めた。低俗な発言を繰り返していたはずのTwitterも、気づけば意識高い学生のTwiiterに豹変。昨季4冠に届かなかったリヴァプールが急に低迷し始めたことも正直どうでも良かったぐらいだった。

 

そして彼女は無事に受験合格。会えなかったのが辛すぎるあまり3月頃は鬱になっていたが、2023年4月21日の放課後、小雨の中で周りの目線も気にせず抱きしめ合うという感動の再会を果たした。それから表参道を2人で歩いて沢山話して、美術館に行って、夜ご飯を食べた。2人分まとめて払うと、「大きくなったら私が払うね。」って言ってくれたり、「襟足めっちゃ似合ってるよ!」って言ってくれた。人生最高の日だった。それからもLINEでのやり取りは続いた。毎回返信を考えるのに必要以上に時間をかけていたが、その瞬間こそが幸せだった。

のはずだった。

 

んま結論から言うと、5月末からその子と連絡は取れなくなってしまった。突然LINEをブロックされたのだ。理由は不明。あっけなく幸せな時間は終わってしまった。

現実に向き合うことができなかった一方で、その反面謎の安心感もあった。自分は、あらゆるポテンシャルが高すぎるその子の隣にずっといて良いような人間ではないのは明白だったからだ。

当時の自分にできることは毎晩泣くことだった。6月は大学の課題に追われながら、全てを失った喪失感とともに、産声以来の号泣を21歳になって毎晩上げるようになった。辛かったのは失恋だけではない。関わることになる他大生にも年上の人間にも、東京にゴミカス人間が多すぎるということだった。東京嫌いもこの頃から悪化し始めた。

 

このままだと毎晩泣いて人生が終わってしまう。何か転機が必要だと感じて、9月には24日間の1人アメリ渡航を決行した。アメリカは控えめに言って楽しすぎた。何より、目が合うとニコッて笑ってくれるアメリカ人の女の子たちが可愛すぎた。

アメリカのクラブにも行った。右から2人は同い年の女の子。左は2個下の女の子。めちゃかあいかった。

 

最高のアメリカ旅行だった。もう今の自分に鬱な感情はない。気持ちを新たに帰りの飛行機に乗った。

帰りの飛行機に乗ってる間、仲良くなったアメリカ人の女の子たちで頭がいっぱいだった。「いやーなんやろ、日本では女の子と目合ってもああやって笑ってくれへんねやろ?やーこれ逆カルチャーショック陥るかもなぁ……ん、待てよ??日本にもたしか1人だけ、目合ったらニコッてしてくれる6歳年下の女の子がおった気するな……」

彼女を思い出した時、再び涙が止まらなかった。

結局、アメリカから帰国してからも毎晩泣くようになった。10〜12月はもうほとんど記憶が無い。年末年始は大学の授業を全て投げ出して、18日間実家に帰省して悟りを開いた。米寿を迎えたおばあたんにも顔を出しに行って真っ先に言われたことは、「あんた彼女いんの??聞くん楽しみにしとってん。」。まさかおばあたんに違う意味で泣かされる時が来るとは思わなかった。

しかし大失恋を経験したいま、やはり信じられるのは家族だけだった。高専時代ほとんど話さなくなった父親とは、久々に面と向かって話した。これはこれで良かったのかもしれない。

と、こんな感じで地獄のような感情のまま8ヶ月が経過した。もう毎晩泣くことは当たり前。毎日ヘアアイロンを当てて大学に行っていた昨年と対照的に、髪はボサボサのままで登校。さらに毎日部屋着+サンダルで外出するように。女子とは全く喋らなくなって、高専時代に逆戻り。あまりにも切なくないか。

2月上旬には10ヶ月振りにとある後輩と再会した。「先輩元気っすか?(恋愛順調で元気だった頃の)先輩マジで尊敬してました!久々に会いませんか!」と連絡をくれたので再会。今の俺は地獄に堕ちている、ということは言わないことにして、平然を装って会話を続けていたが、ある時「んーなんか、先輩、雰囲気変わったというかなんか……あの時より元気無いっすよね。」と言われた瞬間、思わず天を仰いでしまった。はぁ…もう終わりだよ。

 

ここまであまりにも絶望の時間が続いていたが、2024年2月22日、ちょっとした出来事があった。何かというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分でもびっくりだった。さすがにこれは詳細には話せないが、2個年上の女の人と。彼女が欲しくて仕方なかった時期とかは特に童◯がコンプレックスだったので、卒業できたのは純粋に嬉しかった。何より気持ち良すぎて昇天してしまった。

その人とはもう1回会ったりもして、当時は嬉しすぎてInstagramに上げてしまったりもしていた。

しかしいざ◯貞を卒業しても、思ったより何も変わらなかった。なんならくだらないとすら思った。こんなくだらないことを気にしていたのかと。その人は東京在住の人ではないので、おそらくもう会うことは無いだろう。

 

結局毎晩泣くことに変わりはなかった。10ヶ月近く会えていない彼女を忘れることはできなかった。褒めてくれた襟足だけは切ることができなかった。はっきり言って、勉強してる時も寝る時も邪魔である。

 

楽しみにしていた高専の同窓会も、女子とは全く話せなかった。もう2度と行かないだろう。

そして地元の同期はみんな新社会人になったそうだ。中学の社会の先生になった友達、英語の先生になった同期、CAになった同期。一方で俺は何をしているんだ。

 

空白の2年。まさか東京に来てからここまで人生が急降下するとは思っていなかった。

 

大学新4年になってからの目標は、院試合格、そして卒業研究で良い成果を残すことである。そして、東大編入生としての最後の1年をどう過ごすかが問われている。

 

読んでいただきありがとうございました。

社会不適合者の教習所ライフ③

『社会不適合者の教習所ライフ』最終章。

 

①(約850文字)と②(約1600文字)もあるよ

 

今回は約3100文字。

 

一応以下の情報を記載しておく

・通いか合宿か:通い

AT車MT車か:AT車

・初期スペック:マリオカートネオクッパシティが得意。ジャイロ操作でやったことはない。

 

 

9/5(日)に仮免許を取得した。9/25(土)の卒業検定までは、ほぼ毎日教習があった。

 

仮免取得後は、応急救護の教習を受けてから、二段階の学科・技能教習が始まった。

 

技能教習では早速路上での運転が始まり、初回の路上教習が一番緊張したかもしれない。いずれ慣れてくるとはいえ、車を運転している全人類を尊敬する瞬間だった。

 

技能教習の合間にも、二段階の学科教習があって、正直眠くて仕方なかった。授業中に流れるビデオの古い映像の感じがなんとなく苦手だった。

 

 

そういえばこんなことがあった。(これ話して良いのか分からないが。)

もちろんこれはその女の子と会話していたという訳ではない。

 

ある日の学科教習で、たまたま生徒が自分とその人の2人だけという時があった。

先生と生徒2人合わせて3人だけということもあってか、授業開始後も少し雑談の雰囲気があり、先生が自分に「もう路上運転してるの?どんな感じ?」と聞いてきたので、「あ、はい。もう運転してます。いや〜なかなか苦戦してますねぇ。」と答えた。

その次に、先生がもう1人の女の子にも聞くと……

先「あなたは?」

女「仮免許まだ取れてなくて……」

先「え、学科試験ダメだったの?」

女「あ、いや……」(泣きそうになりながらハンドルのジェスチャーをする)

 

どうやら、緊張のあまり一時停止標識のある所で一時停止を忘れていたらしく、試験中止となったらしい。もう、聞いてるこっちまで危うくもらい涙という感じだった。

ってか、これ俺聞いて良かったんか?と思った。いや、そもそもその瞬間だけ自分の存在を認知されていなかったのかもしれない。それもそのはず。自分は生徒2人しかいない教室の一番端の一番後ろの机に座っていたのだ。こういうところを直していかないといけないと思った。自分のあまりの影の薄さにも危うくもらい涙。

 

 

さっき言ったように、9月はほぼ毎日教習があったので大変だった。

学科教習はたまに19:40〜20:30まで行われる日もあり、中学生の頃の塾を思い出した。

技能教習は、路上を走っていくうちに慣れることができ、生徒3人で交代しながら運転する複数教習も受けたり、危険予測シミュレーションみたいなのを受けたり、場内で方向転換・縦列駐車を練習したり、高速道路を走ったりもした。

 

初の高速道路は、「疾走感最高!w」なんて言ってる場合じゃないぐらいまぁまぁ緊張した。

 

そして気付けば二段階の学科・技能教習全てを終えた。いやー疲れた。

 

全て終えたあとは、学科試験の効果測定を受けた。

 

効果測定に関するルールは、教習所ごとに異なるらしいが、自分が通っていた加古川教習所は、教習所に設置されているパソコンで効果測定を2回受けて、1回でも不合格(90点未満)だった場合、技能検定までに、自分の携帯で効果測定を受け直して合格点を取って、そのスクショを受付で掲示するだけで良いという超ガバガバシステムだった。

 

仮免試験の時の効果測定は2回とも不合格だったが、別に今回も不合格でいいやと思い、何も対策せず受けた。

結果は、

1回目:87点(不合格)

2回目:93点(合格)

だった。

二輪車についても出題されるので、これから免許取る方は、二輪車の勉強はちゃんとしといた方が良いと思います。知らんけど。

 

そしてついに卒業検定がやってきた。

先に路上で検定→→その後場内で、方向転換(右)・方向転換(左)・縦列駐車の3つの内いずれか1つを検定(どれをするかは自分で決めることができない)という流れだった。

4人グループに振り分けられて、その中で前半2人と後半2人に別れて行われた。

 

嬉しいことに自分たちのグループは、自分の苦手な方向転換ではなく、得意(?)の縦列駐車だった。いつも通りやればいけるなという感じだった。

 

自分は前半組だったので、早速卒業検定が始まった。路上検定コースまで指導員の方が運転してくれて、そこから交代で検定という流れだった。

自分と同い年ぐらいの女の人とペアだった。これまでの複数教習とか修了検定で一緒に乗った人は全員男だったこともあり、なんか緊張してしまった。

 

検定コースに移動するまでは後部座席に座り、忘れがちな後部座席のシートベルトもちゃんと忘れずに締めた。

先に女の人が運転して、その後に自分の番だったので、路上検定の流れを予め知ることができたが、想像以上に簡単な感じだったのでビックリした。

そして自分の番が回ってきたが、特に緊張することもなく無事に終えた。減点されるようなことをした覚えはない。「車から降りるまでが検定です」という、小学生の「家に帰るまでが遠足です」みたいなルールもちゃんと覚えていて実行したのでスムーズに検定を終えた。

 

路上検定を終えた後は、教習所に戻るまで指導員の方がまた運転してくれるので、後部座席に戻った。すると、隣に座ってた女の人がやけにジロジロ見てきて、発車後も見てくるので、「なんやこの陰キャみたいな奴は」と思われてんのかなーと思ったり、「いや、これ…まさか…期待して良いんですか?陰キャついに?」とか変な想像をしたりしていたが、よくよく考えれば自分がシートベルトを締め忘れていただけだった。一旦死んでくるか。

 

教習所に戻ってからの場内検定では、得意の縦列駐車を披露してみせた。合格を確信した。

 

その後は、後半組の検定が終わるまでひたすら待たされて暇だった。そして結果発表。無事合格。

 

やったー!!安心。と同時に、こんな簡単で良いのか?と思ったりもした。

 

無事に教習所を卒業。無料送迎バスも便利で、感染対策も徹底されていて、指導員の方も親切で気さくな人ばかりだったので良かったと思います。(1人だけ言葉遣い悪すぎる指導員を除いて)

 

 

9/28(火)、明石の試験場まで行って、最後の学科試験を受けた。

前日の夜にネットに上がっている模試を6回解いて、しっかり対策した。

社会不適合者すぎるあまり、危険予測のイラスト問題を毎回間違えてしまっていた。正直これに関しては対策のしようが無かった。それと、変な日本語の読み間違いもたまにあったので注意が必要…だったがこれも対策のしようが無かった。

 

試験場は想像以上に人が多くてビックリした。試験を受けるまでの書類の提出とか適正検査が面倒だった。

 

そして試験開始。自信が無いのは3問ぐらいで、もしイラスト問題で1,2問間違えていたとしてもセーフという感じだったので多分いけたと思った。

 

結果は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よっしゃー!!全部終わったぞー!!

 

受験者100人中93人合格だった。(発表のモニターに無い番号を数えて分かった。)

 

午前中に試験を受けたが、手続きが色々あるらしく、1時間半ぐらい待たされた。その間にこの記事を書いた。

 

その後は免許交付の手続きで、写真撮ったり話聞いたりした。

 

そして免許を交付された。犯罪者みたいな顔写真が載っていたがこれは誰なんだ。

 

という訳で、社会不適合者の教習所ライフは無事終わった。

効果測定は仮免・本免両方不合格だったものの、本番の技能検定・学科試験は1発で合格できたので非常に良かったと思います。

 

多分しばらく運転する機会が無いとはいえ、教習所での自動車教習を通して、自分は社会の一員だという責任感や自覚が必要だということを改めて感じさせられた。また、いつまでも精神年齢2歳のままじゃダメだということを感じさせられた。

今週の金曜から学校が始まるが(嫌だぁあー)、もうすぐ20歳になるということを自覚した服装で登校しようと思います。

 

 

バー(・o・` )ブー(・ε・` )

社会不適合者の教習所ライフ②

仮免許を無事取得した。

 

本当はこの記事の一番最後に受かったかどうかを発表しようとしたが、仮免試験合格を言い渡された直後、Twitterで言ってしまった。

 

教習所に通い始めたのは、もう1ヶ月前の話だが、通うと決めたのが7月下旬で、8月はあまり予約が取れず、9月に通いまくるみたいなスケジュールになった。

 

正直、免許取得は自分にとって不要不急なので、緊急事態宣言下に教習所に行くべきでないと考えたりもする。

 

技能教習(一段階)は10回ぐらい受けて、教習所内をひたすら運転していたが、指導員からの感想は「まぁ悪くない」みたいな感じのコメントばかりだった。

 

1回だけ、言葉遣いがあまりにも悪すぎる超大ハズレ指導員を引いてしまった。

「お前、ボケとか言いながら偉そうに教える前に、その言葉遣いちゃんと直してから出直してこいボケ!!」と心の中で叫んだ。

 

また、他の指導員からは、運転中に「さっきから気になってたんだけど……その服はNARUTOの服なの??」と聞かれて、「え、あ、はい。そうですよ」と答えると、「へぇ…そうなんだ笑笑」と言われた。

 

なんというか、恥ずかしくて仕方なかった。

 

2ヶ月後には20歳になるというのに、未だにNARUTOの服を着て外出していることが、あまりにも恥ずべき行為であることを自覚した。

 

 

そして、仮免試験が近付いてきた。日程は把握していたが、内容や形式は1週間前まで全く分かっていなかった。

 

仮免試験は簡単という話をよく聞くので、特に対策はしなくて良いと思い、何もせず、呑気に過ごしていた。

 

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トホホ……まったく何をしてんだ……

 

画像のオレンジ色の「教育」は、仮免対策アプリのことである。

 

仮免試験2日前の金曜日に、仮免効果測定があり、勉強しておかないといけないものだと前日の夜に知り、急いで対策し始めた。

 

そして、仮免効果測定は2回受けさせられた。結果は……

 

 

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ー  伝  説  は  始  ま  っ  た  ー

 

 

効果測定にはしっかり落ちてしまった。

 

この記事の文章を読めば分かる通り、自分は日本語能力が終わっているので、問題文の理解に戸惑うことも結構あった。日本語能力というか、変に難しく考えすぎてしまったのかもしれないが。

 

効果測定を受け終わった後には、仮免学科試験の前に受けないといけない、修了検定(技能)の説明を受けた。

普通にダルそうで気分が落ち込んでしまった。

 

そして、その日家に帰ると、学校から青い封筒が届いていた。「クソ!こんな時に!!」と思いつつ成績表を見た。

 

 

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順位もしっかり落ちてしまった。

 

 

土曜日は必死になって仮免試験対策をした。まぁ落ちてもネタにはなるが、金が余計に掛かってしまうので、さすがにこんな所で落ちる訳にはいかなかった。

 

 

そして仮免試験当日、まずは説明を受けた後に、修了検定が始まった。

 

自分の番が回ってきた時はまぁまぁ緊張したが、これといったミスはなく終わった。

修了検定は減点方式なので、「減点さえ無ければそれで良いでござる!」の精神で、超ノロノロ運転をしてみせた。運転後、指導員の方から今後はもっとスピード出してくれと言われた。

 

その後は仮免学科試験。この日受けたのは自分を含め8人だったが、半分以上の人が効果測定に落ちてたっぽくてなんか安心した。効果測定20点台/100だったとか言ってる人もいた。

 

そして、学科試験を受けた。終わってから5分後ぐらいに結果発表だった。

それまでの間は、ひたすら祈るばかりだった。

 

「頼む受かっててくれ……」

 

「頼む受かっててくれ……」

 

「頼む受かっててくれ……」

 

「頼む受かっててくれ……」

 

「頼む受かっててくれ……」

 

 

「頼む受かっててくれ……」はもう今年言い飽きてるんだよ!!!

 

 

そして結果発表

 

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やったーーーーー

 

というわけで、仮免許GET!!

 

いやぁ疲れた。

 

これからは路上に繰り出されるのか……

 

 

ってか、仮免試験でこれだけ苦戦してたら、本免試験のとき険しすぎワロタ。

 

 

(▰╹◡╹▰)

社会不適合者の教習所ライフ①

11ヶ月ぶりの更新となりました。草

 

8/1(1日目)から加古川教習所に通い始めた。

上手く行けば夏休み中に免許を取得できることになっているが、果たしてどうなるのだろうか。

 

教習を受け始める前に受付の女の人から色々話を聞いて、その後に視力検査を受けた。

別にそこまで目は悪くないが、視力検査のCみたいなやつの向きを識別するのがなぜか苦手すぎて毎回苦戦する。

案の定今回も苦戦して、「え、えぇ……下…ですか…?」とか「い、いやぁ…ちょっと分からないっす」とか「あぁ…すいません分かりません…」を連呼していた。すると受付の人から「もぉ…さっきは見えてたのにぃ🥺」とか言われた。

 

全体のガイダンスを受けた後は、適正検査を受けた。多分大丈夫。

 

そしてその後には学科教習が本格的に始まった。ああいう感じの授業をまともに受けるのが久しぶりだった。というか普通に何度か寝そうになった。

しかも学校の授業とは違って、授業を受ける側の人たちには色んな人がいる。たまにヤンキーみたいな人もいる。少なくともその日NARUTOの服を着て行った自分が一番場違いだったかもしれないが。

その後には模擬教習(シミュレーション)とかも受けて、その日の教習は終わった。

 

そして今回(2日目)は、学科教習を受けた後に技能教習が始まり、早速運転することになった。

 

運転は想像以上に難しく、誤ってクラクションを盛大に鳴らしてしまった。

教習所内に設置された運転コースをひたすら周回するという感じだったが、初めてのことでかなり疲れた。

 

運転中、指導員の方から、「いずれ隣に女の人乗せて運転しなあかんのやからなー」と言われたが、「いやぁ、ぼくにそんな機会なんかやって来ないっすよww」と答えたところ、いやいやそんなことは無い、いずれ必ずやって来るというような、ありがたい話を運転中ずっと聞かせてくれた。気付けばその話に聴き入っている自分がいた。

ありがたい話を聴き終えたあと、「俺もそろそろ変わらなあかんよなー」と、この陰キャはついに思い始める……

 

 

なんてことはなかった。

 

 

免許一発で取れるように頑張るぞ!w

陰キャ、宮島一人旅

インターン前半戦が終了。

慣れない環境で色々疲れたが、学ぶ事は多く非常に有意義である。

明日からの5日間も頑張りたい。

 

土日は休みで自由。

せっかく広島に来たので、色々観光した。

昨日は現代美術館とか世界平和記念聖堂とか色々回った。

徒歩で色々回ったので、足が筋肉痛になった。

思い返せば4年前期、まともに運動していなかった。。。

 

今日は宮島に行った。

 

宮島に行くのは小6の修学旅行以来。

厳島神社とか大鳥居とか色々見るのが楽しみだった。

早朝から行くことにして、朝7時前にホテル近くの駅から路面電車に乗って「宮島口駅」まで移動。そこからフェリーに乗って宮島に到着した。8時前に着いた。

 

朝早い時間にも関わらず、観光客は割と多めだった。まずは、厳島神社に向かうことにした。

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途中こんな写真を撮った。

広大な景色だ。

 

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さらにはこんなものも。

何か新しい建物が建つのか……??

いや、こんな海上に何かが建つとは思えない。

うっすら見えるシルエットに心当たりがあった。いや、まさか。。。

 

少し気がかりな要素があるが、とりあえず厳島神社に入場。

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おぉー、すごーい。

 

神が祀られている神聖な厳島神社を、背中に「邪道」と書かれたTシャツを着て歩く中年男性を見かけて思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

そして嫌な予感は的中してしまった。

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楽しみにしてた大鳥居は改修中だった。

 

わぁ、鉄骨で覆われてるなー。

あれはガス圧接継手かなぁー??

……って、鋼構造の勉強しに来たんちゃうわ!!

 

まさか改修工事をやってるとは思わなかった。

 

別に厳島神社の他にも、色んな神社とか水族館とか観光名所は色々ある訳だが、行く気になれなかった。

ロープウェイにでも乗るかと思ったが、昨日たくさん歩いた疲労のせいで、ロープウェイ乗り場がある丘まで登る元気が無かったため断念した。

大鳥居を見るという本来の目的を失ってしまった今、何も見る気になれなかった。

 

え、これ他に何かすることあるの……??

 

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そーいや、宮島には鹿がたくさんいる。

 

 

一応、宮島に来たってことで杓子を購入した。

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頼むからもう授業中に腹痛にならないでくれ。

 

結局この後何も見て回らなかった。

 

 

 

 

 

 

1時間しか滞在せずに帰りました。

 

「最短宮島滞在時間」ってことで、ギネス世界記録に申請してみようと思います。

陰キャのクリスマス2019

朝6時に目が覚めた。珍しく目覚めが良かった。普段に比べて視界が開けている。昨日、4ヶ月ぶりに散髪したことを思い出して納得した。前髪が目にかからないという感覚が久しぶりだ。

 

昨日はサンタさんに向けて、日本史の授業感想プリントにメッセージを書いた。「いつも良い子にしてるからニンテンドースイッチをくれ」と。

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もちろんサンタさんは来なかった。日頃から良い子にしている自覚も無いので当然の結果だと思った。

 

なぜこんな早起きをしたのか。

なぜ昨日、4ヶ月ぶりに散髪したのか。

クリスマスだからと言って、何か予定がある訳でもないのに。

 

ちなみに去年のクリスマスは何をしていたかと言うと、一日中、腹痛に苦しんでいただけだった。

 

ツイートにあるように、そのせいで数万を超える予定を全て断ったのだ。

 

あれから1年か。とにかく時間が流れるのが早すぎる。

これから忙しくなるのかと思うと、ますます現実逃避しようとしてしまう。

 

で、結局今日は何をしていたかというと、外に出ることもなく、一日中ゴロゴロしていただけだった。

 

以上、一日中本気で何もしていないのでこのブログに書くことがもう無い。なぜこんな虚無の1日についてブログに書こうとしたのか。書くことが無いに決まっているだろう。

 

ということで、今日のことについて書くことも無くなったので、今年を振り返ろうとしたが色々あった1年だったので、全てを振り返るには時間が掛かってしまう。

 

2019年を「健康」という視点から振り返ると、なかなか大変だった。

・正月3日間、高熱

・3年開始早々、頭に包帯グルグル生活

・海外研修の途中、前代未聞の吐き気

・ほぼ毎日腹痛

 

大きなケガや病気にかかった訳でもないが、上に書いてある通り、「頭に包帯グルグル生活」は今年1番苦労したかもしれない。1週間ぐらい、寝るのもままならなかった。なぜそんなことになったのかは秘密で……

4/9(火)、1限は病院で休んで、2限から参加した訳だが、クラスメイトにどんな顔をすればいいか分からなかった。周囲から「見てて痛々しい」という声がたくさん聞こえてきたが、笑って誤魔化していたのをよく覚えている。いや、さすがに辛すぎて笑って誤魔化すことは出来ていなかったのかもしれない。

ちなみにその日、2限から参加しようと教室に向かう途中、入学して間もない1年生に遭遇した。割と大人数だったので、移動教室で違う教室に向かう途中だったのだろうか。これからどんな授業が待っているのか、彼らの心は希望に満ち溢れていたのだろう。そんな彼らと遭遇した時、彼らから向けられた目が忘れられない。いや、自分が悪いのだ。入学して間もない彼らに、頭に包帯グルグル巻きという地獄絵図を見せたのだ。そんな自分に腹が立ってくる。

 

ってことで、とにかく色々あったのだ。

 

夜はテレビを見て気付けば日付は変わってクリスマスは終わっていた。

本当に何もしていなかった。。。

 

そしてこの記事も今書き終えた。キーボードを打つのが早くなったかもしれない。

 

 

ふと窓を眺めようとした。カーテンが閉まっていた。今日カーテンを開けた覚えが無い。そもそも今日1日、外の景色をじっくり見た覚えが無かった。。。。。。

あいあむテニス雑魚太郎

こんばんわ。設計課題のエスキスとか海外研修のポスター作成とか色々とやることはあるが、特にやる気も起こらないので気分でブログを書くことにした。2週間ほど前に、なんとなくブログを上げてみた訳だが思ったよりも反響があったようだ。「いいね」は5件ぐらいだったが。

 

 

今朝、目が覚めた時、割と寒かったっていうのと、3限の体育のテニスが嫌すぎるってことであまり布団から出る気にならなかった。しかし今日は、8時半から配られるパンのために早く登校しようと友人と約束していたことをすぐに思い出し、なんとか布団から出ることができた。無事に8時半までに学校に着き、パンをゲットすることができた。普通に美味しかった。

 

1限は英会話だったが、何をしたか覚えてないし思い出す気にもならない。

1限の終わり頃に、Spitzのサブスク解禁という素晴らしすぎるニュースを教えてもらい、授業どころじゃなくなった。すぐにダウンロードして聴いてみたわけだが思わず感動した。Spitzは中1の頃にどハマりしてて、ずっと聴いていたものだった。それと同時に中1の頃のことを色々と思い出して、「あの頃は髪の毛がサラサラだったなー」って思った途端、今の自分に対して謎の苛立ちを感じた。

 

2限は数Aだったが、もちろんSpitzを聴きながら授業を受けた。全く理解できなかったのでしばらくして聴くのを一旦やめた。重積分の話だったが理解するのに時間がかかった。その後に重積分の類題を3問出題されたが全くわからなかった。あれを前でスラスラ解けるクラスメイトが普通にすごいと思ったしもっと理解力を向上させなければ。。。と思った。

 

そして3限の体育がやってきて憂鬱な気持ちでテニスコートに向かった。今日から早速、総当たりの試合ということでさらに気分が下がる。3つのリーグに分けられて、自分たちのリーグのみ別のところにあるテニスコートに移動した。時間が分からなくなってはいけないのでベンチに置いてあった、いっ◯くの携帯を勝手に持ち出した。少し反省してます。

8点マッチの試合を行ったわけだが、サーブは入らないしラリーもまともに続かない。相手のミスで点が入り、自分のプレーが得点に繋がった場面は特に無かった気がする。もちろん一度も勝てなかった。思わずベンチに寝転がって空を眺めた。が、気分は晴れなかった。

また、試合をしようとしたが時間も無いし、疲れて動きたくなかったので、ジャンケンで勝敗を決めたりもした。ジャンケンをしたら自分が勝った。。。が、しかし、これではなんか面白くないということで、「ジャンケンをして勝ったら、1点ゲットで、先に8点ゲット(8回勝利)した方が勝ち」というルールに変更した。結果、驚異のジャンケン8連敗で合計1−8で敗北したのだ。ジャンケンで8連敗することは可能なのだ。流石にこれは大変だということで、7−8で敗北ということにしてくれた。

つまり何が言いたいかというと、この日の試合、全敗を喫したのだ。クソすぎ。

 

ああ。あああ、嗚呼。あああああ。。。記事書くの疲れたしエスキスやりますわ。